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バレエの話を始めると止まりませんので、まずはクリスチャン・ファランガの紹介から始めます。
プリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミーでマリカ・ベゾブラゾヴァに学ぶ。1971年ジョン・クランコ率いるシュツットガルトバレエ団に入団。以降26年間在籍し多数の著名な振付家の作品を踊っています。振付家はイリ・キリアン、ジョン・クランコ、グレン・テトリー、ケネス・マクミラン、ジョン・ノイマイヤー、ラー・ルボヴィッチ、モーリス・ベジャール、デヴィット・ビントリー、等です。シュツットガルトバレエ団ではイリ・キリアン振付作品の上演に関して全てアシスタントも務め、リハーサルも担当しています。フランス政府よりバレエ教師の認可を受け、ジョン・クランコバレエスクールにて教師資格を取得し、客員教師として定期的に来日しています。日本が大好きでセミナー開催中はコーヒーではなく緑茶を飲んでいます。
プリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミー(モナコ王立グレースバレエスクール):世界で2番目に小さくで世界で一番安全な国と言われているモナコにあります。dance on pointe からは2011年に世界最大と言われるコンクール YGP (旧YAGP)でスカラシップ賞を受賞した生徒さんが短期留学しました。
マリカ・ベゾブラゾヴァ:ロシア生まれ。ヨーロッパで最も著名なバレエ教師の一人と称されている。フランスで教育を受け、モンテカルロ・バレエ、カンヌ・バレエで踊った後1952年モンテカルロ・クラシックダンススクール(現在のプリンセス・グレース・クラシック・ダンス・アカデミー)を設立。自身のスクールにとどまらずヨーロッパ全土で指導にあたる。マーゴ・フォンティン、マリシア・ハイデ、ルドルフ・ヌレエフ、森下洋子、フリーデマン・フォーゲル、スージン・カン、ジル・ロマンをはじめ多数のダンサーが教えを受け支持されている。
カタカナが多くて頭が痛くなりそうですが、モンテカルロで トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団 は思い出しませんか?
シュツットガルトバレエ団といえばジョン・クランコです!
1927年8月15日南アフリカのルステンブルクで生まれ、同地でバレエの訓練を受け始める。1942年最初の作品『兵士の物語』を振付。1946年ロンドンのサドラーズ・ウエルズ・バレエスクールに入り、サドラーズ・ウエルズ劇場バレエ(現ロイヤルバレエ団)のメンバーになる。入団当初から振付に関心を示していたクランコはこのカンパニーのために多くの作品を創った。1961年ヴェルテンベルグ州立劇場のディレクター(シュツットガルトバレエ団の芸術監督)に迎えられる。ここでクランコはバレエ団のスケールを拡大し数年にして多彩なレパートリーを持つ若々しく活気にあふれたバレエ団を作り上げるという奇蹟を成し遂げた。1965年に『カード遊び』と『オネーギン』、1969年には『じゃじゃ馬馴らし』などの代表作を次々に発表し、シュツットガルト劇場だけではなく世界各国で公演を行い成功を収めた。クランコの創造のエネルギーに支えられた一連の振付作品はドイツの一地方都市のバレエ団を世界で多くの注目を浴びるバレエ団の一つに育て上げた。 古典作品を基本とし、全幕物のドラマティックの振付を中心としたクランコの手法は20世紀のバレエの発展に計り知れない影響を与えた。しかし1973年6月23日ニューヨーク公演からの帰途の機内で急死した。亡くなられてから50年近く経つんですね...ジョン・クランコは作品を映像で記録していなかったようで 今までの作品を上演するに当たっての正確な資料が無く大変苦労したそうです。
そして、イリ・キリアン
1947年プラハ(現在のチェコ共和国の首都)に生まれる。1967年英国ロイヤルバレエ学校に入学。1968年ソリストとしてシュツットガルトバレエ団に入団。ジョン・クランコに師事しながら振付を始める。1975年ネザーランド・ダンス・シアター副芸術監督、1978年同団芸術監督に就任。以後50以上もの作品を創作し同団を世界的バレエカンパニーへと押し上げ名声を得る。1999年8月に芸術監督を退くが今も尚、牽引者として多くの作品を創り上げている。2000年より彩の国さいたま芸術劇場における『彩の国キリアン・プロジェクト』芸術監督に就任。2006、2007年とローザンヌ国際バレエコンクールにおけるコンテンポラリーヴァリエーションの課題曲はキリアン振付の作品から選ばれた。2009−2010年のネザーランド・ダンス・シアター創立50周年シーズンを最後に同団を退いた。私の好きな振付家の1人です。
ファランガ先生のコンテンポラリーレッスンではキリアン振付作品の『忘れられた大地』や(Forgotten Land)グレン・テトリー『春の祭典』がありました。この『春の祭典』は来日公演で観た作品だったので世界的振付家のキリアンの振りをアシスタントとしてシュツットガルトバレエ団でもリハーサルを担当していたファランガ先生から教えを受けた時間は忘れ得ぬ"時"になりました。